初めましてWEBる。と申します。
今日が一番若い日がモットーの管理職サラリーマンです。
人生の折り返しをむかえ、なにか新しいことにチャレンジしたいとの思いでこのサイトを立ち上げました。
プロフィールをがっつり書いてるので(笑)ぜひ最後まで読んでください。
基本情報
性別 男性
年齢 40代後半
家族 要介護4の母 妻(同級生) 長男(高校生)次男(中学生)
職業 ガテン系管理職
幼少期〜中学校:周りと違う生活環境で根拠のない自信を得る
私は、福岡の自営業を営む(食堂)家庭に生まれました。
気性が荒く酒癖の悪い父親と、お嬢様育ちの母親。
そしてとても仲の良い四人兄妹の末っ子として私は育ちました。
私が生まれる前に一番下の兄が1歳にも満たず病気で亡くなっていたので
「兄が生きていたら、お前はこの世に生まれてなかったよ」
「お前は近所の橋の下で拾ってきた子どもだよ」
など言われ良く泣いてましたね。(笑)
小・中学は兄の影響で剣道を習っていました。
練習はとても厳しく『気合だ!根性だ!練習中は水を飲むな!』の昭和スパルタ指導で
本当に嫌々ながら9年間、病気や怪我をしても1日も休まず通いました。
両親が365日休まず働いていたので、家庭の中で
そもそも『休む』という考えがなかったんです。
運動会なんかも周りから可哀想な目で見られながら一人でお弁当を食べてましたね(笑)
「親が仕事だから来れない」それがウチの家庭ではごく当たり前のことで寂しく感じることもなく、むしろ両親が友達の親に比べて高齢だったこと、まわりはサラリーマン家庭の子ばかりで自分だけ食堂の息子という事にどこか劣等感を感じていた私は
来てもらったほうが恥ずかしく、来ないほうが良いと言うのが本音でした。
とにかく親が仕事で忙しくほったらかしの、良く言えば放任主義の環境で育ちました。
身寄りがなく施設に入っていたオジさんのお見舞いもなども、仕事でいけない親の代わりに幼稚園の時から電車とバスを乗り継いで片道1時間半かけて一人で行ってました。
当時の幼い私には、このお見舞いに行くというミッションが何もかも刺激的!!
きっぷを自分で買ったり、下車する駅やバス停を間違えないように何度も何度もメモを確認したり、残ったお金で好きなジュースやお菓子を買ったりドキドキとワクワクの連続。
道中は何をするにも、小さいのに一人で凄いねと驚かれたり、小さいのに偉いねと大人に褒めてもらえたりと(いま思えば一人で行かせてた親も凄いですが…笑)
まさに冒険って感じでしたね。
他にも小さな私がスーパーでひとり食材の買い出しをしていたり近所の出前や店で食器洗いなどの手伝いをやっているの姿を見た周りの大人達からすごい!エライ!などよくと
褒められました。
自分の中で苦労や努力しているという感覚もなく当たり前のことが、まわりの大人達から見たら凄いことなんだと何だか不思議な感じでした。
このまわりの大人達に褒められた経験で「自分は他人と違って凄いんだ」
と根拠のない自信が私の中に生まれその後の人生に大きな影響を与えます。
高校時代:学歴社会への挑戦を決意する
当時の日本は右肩上がりのバブルで大手企業へ入社すれば一生安泰と言われた時代
サラリーマン人生で出世を目指すなら大学に進学して就職をするのが正解。
しかし、私は商業高校を選択します
理由は以下の3つ。
・家庭が大学進学できるほど裕福ではなかったこと…
・とにかく勉強が嫌い!!
・大学など行かずとも大丈夫と根拠のない自信があった
高校に入学した私は遊びまくります
嫌いだった剣道からも解放され帰宅部となり、学校から帰るとゲームに没頭、もう時効ですが滅多に学校に来ない友達からパチスロの攻略を教えてもらい、勝ったお金で皆を引き連れて美味しいものを食べに行ったりカラオケに行ったりと夢のような生活。
オマケに優秀な学校ではなかったので、成績はまさかの校内トップクラス(笑)
まさに順風満帆な高校生活!!
何も努力せず上手くいく高校生活で、私の自信はさらに深まります。
成績の良かった私は先生の勧めで大手電力会社の入社試験を受けることになりました。
学校から試験を受けたのは3人。
1・校内トップ成績の女子2・校内2番目の男子(私)3・コネのある女子
合格したのは もうお分かりですね。3の女子でした!
この時はさすがに世の中やっぱりコネやー!って思いました。
高卒では大手企業に就職しても安定はしているが、出世できないことを理解していたので
そんなにショックではなかったのですが、成績一番の女の子はとても真面目で性格も良く
勉強も頑張っていた子だったので、とても可愛そうでした。
ここで私は卒業後の方向性を決めます。
学歴の関係ない小さな会社に就職し出世を目指すか
自分で将来何か商売をするか
どちらにしても『社会に出れば学歴なんて関係ない!自分の力で稼いでやる!』
と根拠もなく自信に満ち溢れていた私は学歴社会への挑戦を決意します。
新社会人:サラリーマンという働き方に疑問と限界を感じる
就職は先生に勧められた食器の問屋に決め、ひとまず出世を目指すことにしました。
最初に配属されたのは倉庫での商品管理と出荷。
新入社員の私が張り切って仕事をこなしていたその時でした、先輩から衝撃の一言
「そんなに張り切るな!残業できなくなるやろ!」
この部署は定時までに仕事が終わらないように、ゆっくり仕事をして残業代を稼ぐという
考え方が浸透していました。頑張ると残業代が少なくなり自分たちの首を締めることになるからです。
・がんばって働くと給料が減る
・手をぬいて働くと給料が増える
この頑張らない人がお金をたくさん得られる仕組みに私は違和感を抱きます。
それでも出世してやろうとやる気に満ちて仕事をしていた私は、同期で一番最初に
営業に抜擢され、業績をあげようと必死に働きました!
新人の過去最高成績を叩き出しましたが、給料に反映されることなどありませんでした。
月100時間近い残業代は営業手当の1万2千円のみ真面目に働くだけ損という感じでしが出世を目指していた私は上司に認められようと一生懸命に働きました。
しかしこんどは、優秀な人材が能力を発揮できない年功序列というシステムに
また私は強い疑問を感じます。
みんな上司の機嫌に振り回されるばかりか、的外れな指示にしかたなく従い会社の業績は落ちる一方。それどころか、上司はその責任を部下に押し付けるばかり
「こんなんで会社が良くなる訳がない」
私はどんな会社でも3年は働こうと心に誓っていましたが、会社と上司に限界を感じ
周囲の強い引き止めもありましたが、退社すること決意します。
『やっぱり俺サラリーマンやだな!自分で何か商売でもやろう!」
退社したってどうにかなると根拠のない自信があったのは言うまでもありません(笑)
21歳〜23歳:兄妹がうつ病になり両親を憎むようになる
退社後ここから苦難の始まりです。
ひとつは兄の病気。
父が何を思ったのか50歳から5000万の住宅ローンを組んでマイホームを購入
(よく審査通ったな!!当時は銀行を恨んでました!笑)
家計を心配した兄が大学進学を諦めたことが病気の発端です
ある日、パニックになった兄は家を飛び出し止めに入った母親もろとも家の
石垣の上から転落、母親は肋骨骨折で入院、兄は興奮で救急車にも乗らずじまい
大人3人掛りで何とか取り押さえ、ついに精神病院に入院となりました。
診断名は精神分裂病(現在の統合失調症) 本当に刑務所みたいな病院
あんなに明るく優しかった兄がこんな別人になってしまうなんて…
病室の中にいる兄を監視カメラ越しに見つめていた私は兄がこんなに追い込まれていた事を気づかず生活していた自分がとても情けなく嫌になり、悔しさと悲しさで自然と涙が溢れました。
同時に湧き出る感情、他人の求める人生を生きるのは危険だな
私の本能が察知した瞬間でした。
父は精神病というものにあまり理解がなく、気持ちの問題、病気ではない
甘えているからだと兄を罵るばかり。マジメな兄は「長男なんだからしっかりしないと」と自分を追い込み、また病状が悪くなり入退院の繰り返し。当時は良い治療法がなく、兄はただ薬漬けの毎日で本当に先が見えない状態でした。
そんな中、本当にあり得ないことに姉まで鬱病になってしまいました!!
姉はまともに会話も出来なくなり、家に1年間引きこもり一人部屋の中で
ブルブル震えていてとても見ていられなかったです。
二人が病気になった原因はお金です。
父は長男と長女の金銭的援助を見越して住宅ローンを組んでいました。
兄と姉は一緒に進学を諦め就職し、住宅ローンの返済、生活費や私の学費などを補填するために給料のほとんどを家に入れていました。
兄と姉は歳の離れた私に気付かれぬよう様にお金の話は一切せず、そればかりか洋服を
買ってくれたりお小遣いをくれたり本当に可愛がってもらいました。
兄が病気になり一人で家計を支えていた姉もついにパンクし、うつ病になってしまったのです。
家庭の状況を理解した私は、今度は私が兄と姉を助ける番だと強く心に誓いました。
また、この時から私は
兄妹をこのように変えてしまった両親を憎むようになっていきます。
なんでこんな親を助けるために働かなくちゃいけないんだ…
『世の中お金じゃない』って言ってたくせに結局、金じゃねーかよ!!
23歳〜24歳〜治療費の支払いとローン返済のため嫌だったサラリーマンに逆戻り
ローン返済の為アルバイトをかけ持ちし朝から晩まで1日中働きヘトヘトになって帰ってきた自宅に精神病患者が二人いるという状況は本当に地獄でした。
帰宅して玄関を開ける手が止まる。
「家に帰りたくない…」「もっと普通の家庭に生まれたかった…」
そんな思いを募らせても返済は待ってくれません。
しかも兄の治療費がメチャクチャ高い!お金は徐々に借金で賄う様になっていきました。
とにかく返済のため働いてお金を返していくしかなかった私は少しでも高いお金を稼ぐ必要があった事と事情をしった知り合いから良い会社を紹介され就職を勧められこともあり嫌だったサラリーマンに逆戻りになる事となりました。
24歳〜32歳〜家族の夜逃げと父への葛藤の日々でついに無敵になる
本当に何とか毎月の支払いを回していくなか、自分も鬱病になってしまうのではないか
もうすでに鬱病なのではないかと不安でたまらない毎日。そんな状況でも父は甘えているだけだと病気と認めません。
そんな父に呆れ果てた母は親戚と次男を頼って、ついに夜逃げを決意します
「父から4人で逃げよう」
私の頭にいろんな思いが巡ります。
兄妹を病気にしたのもコイツじゃん?なんで俺こんなに苦労しなきゃいけないの?
兄妹をムチャクチャにした父と私を可愛がってくれた父
私の中に2人の父が存在し、なんともいえない葛藤が生まれます
「俺は残るわ」
母にそう告げた翌日、夜中に車で三人を乗せ新幹線の駅まで送り届けます
父に可愛がられて育った私は、糖尿病の父を一人残していく事は出来ませんでした。
新幹線の中で壊れた兄は無邪気に笑っていたのと、その横で深く帽子をかぶって
ずっと下を向いている姉の姿が痛々しいかったことを今も記憶しています。
1人帰った私に、父は何も聞きませんでした。
その日から父の生活はどんどん荒れていき、毎日の酒が多くなり糖尿病が悪化網膜剥離に始まりついには透析患者になってしまいました。闘病中に脳梗塞を起こし、今度は父の介護の始まりです。
この時に不思議と「どうにかなる、どうにかしてきた」との自信のおかげなのか
無敵になった感覚がありました。(笑)
32歳〜40歳:理想の自分とのギャップをギャンブルと酒で埋める
無敵になったのが功を奏したのか、ここから急に人生が好転していきます。
良い病院の先生に巡り会い、諦めてかけていた兄妹の病気も回復。
ついにローンの返済も終わります。(メチャクチャ嬉しかったです!!)
私は結婚し2人の子宝に恵まれ小さな幸せを手にし、やっと平穏な日常が訪れます。
しかしやっと苦労から解放された反動からか私は急に無気力になってしまいました。
仕事はテキトーにやって定時になると急いでパチンコ屋へ直行、それから飲みに行くの繰り返し。30歳くらいまで嫌いで飲めなかった酒を自分でも嘘くらいメチャクチャ飲むようになりパチンコだけじゃなくボートレースにもハマっていく始末。
毎日朝起きると自然と口から出る 「俺は何をやっているのだろう」
ちょっと前までは考えられない天国の様な生活なのですが本当に虚しい…
本当に自分がイヤでイヤでたまらない。何か自分を変えたい!
そんな思いと裏腹に年齢と血圧だけが上がっていくだけ…
周りから見たら何も不自由のない幸せな生活を送っていた私ですが、実際はとても苦しんでいました。
他の家庭に生まれていたらもっと違った良い人生を送れたんじゃないか?
いや、今からでも何かやろうと思えば遅くはなだろ!
もう充分ガンバッテ来たじゃないか。のんびりしたい。
サラリーマンじゃない仕事をして自分の力を試してみたい!
そんなリスクを犯す必要あるか!?年齢考えろよ?
自分の中の天使と悪魔?(笑)の声が私を苦しめます。
幼少期に刷り込まれた「自分は他人と違って凄いんだ」との自信と思いが他人と同じような生活を送る自分を許してくれないのです。
もう充分幸せなのに…もっと頑張れる!もっと上を目指せ!
と理想の自分とリスクを恐れ何も行動を起こさない自分のギャップに心が追いついていかず長い間、自分を傷つけその辛さをギャンブルと酒で埋める毎日を送っていました。
42歳〜44歳:ついに自分を変える行動を起こす
このままじゃダメだ!何か自分を変えたい!
しかし私はあいかわらず酒に逃げ自分を傷つけるだけの苦しい日々を過ごしていました。
仕事も私の生活と一緒で一人のパワハラ社員のせいで社内の秩序が乱れ無法状態。
会社も上司も見て見ぬふりで何も行動を起こさず偉そうなことを言うばかり
社内の雰囲気も悪くなるばかり、アルバイトも辞めて行き人手も足りなくなる有様。
クレームも多発しだし、私は謝罪と隠蔽に追われていました。またもサラリーマンに限界を感じ会社を辞めようかと頭をよぎります、しかし自分を変えたいと思っていた私はふと考えます。
この状況を変えられるのは俺しかいないんじゃないか?
とあの時の根拠のない自信がここで顔をのぞかせます。
これは自分が変われるチャンスなんじゃないか?
ここで辞めれば今までの自分と何も変わらないし、それどころか何も行動に移さないで
後輩たちに偉そうなこと言ってるだけの私は口だけの上司とおなじだと気づきました。
よし偉そうに口にしてきたことは全部やってやろう!!
やっと自分が変われるキッカケが来た私は早速後輩たちをファミレスに呼び出し
「会社を変えるぞ!力かせ!」と訴えます。
さらには上司の家まで押しかけ「会社を変えたいので力を貸してください」と頭を下げます。みんな私が酒とギャンブルで頭がおかしくなったと思っていたそうです(笑)
しかし私は至って本気で、ここで会社を変えれることが出来れば理想の自分へ近づける!やれなきゃ俺終わりだ!とついに自分を変える行動を起こします。
44歳〜現在:自分を傷つける事に終止符を打つ。
会社と自分を変える為いろいろと行動をしていた私に少しずつですが協力者も出てきましたがまだまだ全然足りない状況、面倒なことはイヤと煙たがる人も出てきます。
私と上司に挟まれ苦しむ後輩を目の当たりにし、こんな感情が湧いてきます
オレ余計なことをしてるんじゃないかな?
みんなに迷惑かけてるだけじゃないか?
本当はみんな今のままでいいんじゃないか?
しかし本気の私は折れかけた気持ちを何度も奮い立たせ頑張っていました。
そんな、もがいている時期に一つのチャンスが訪れます
行き詰まった総責任者が自ら降りることになったのです。
私はすぐ社長の元に飛んでいき熱い思いを伝えます
「給料はどうでも良いので私にやらせて下さい!!」
この思いと行動が社長に伝わったのか、私は総責任者を任される事になりました。
よしっ!これで思い切って改革できるぞ!!
と意気込んだ私でしたが、そんなに簡単には上手くいきません。ある日一人の社員にこう言われます「言ってることはわかりますが社長はそこまで求めてないじゃないですか」
「社長が私の指示に従わなくても良い、そこまで頑張る必要はないよ」と言われたと
これは流石の私もショックでしたね。
本当は誰も改革なんて望んでいなし求めてもいない、むしろ私はジャマな存在なんだ。
しかし、私の中の理想の自分があきらめることを許してくれません。(笑)
理想の自分ならどうするか?理想の上司ならどうするか?理想の男なら?
そりゃ出る答えは絶対あきらめんでしょ!「こりゃ本気で首かけてやるしかないな。」
自分は本当にバカだなとつくづく思いながらも次の行動にうつします。
まず経理に退職金と辞めた後に支払う税金などを計算してもらい、奥さんに辞めることになるかもしれないと伝えます。当然ヨメさんはビックリで
「なんでパパがそこまでしなきゃいけないの?」と。言われた私も、その通りと思いながらも自分の中の理想の自分が許してくれないなんてとても言えない(笑)
仲の良い先輩にも「良いポジションにいるんだからバカな事はやめとけ!」
「サラリーマンはいかに手を抜くかだぞ。」と言われ本当にその通りだなとわかってはいたのですが…これはもう仕方ない!もう本気でやるしかないと!
気づけば私は幼い時の「根拠のない自信」を完全に取り戻していました。
本気になった私は以前にも増して行動を起こします。社長にパワハラ社員に真摯な対応を求めます。「私が辞めるか?パワハラ社員が辞めるか?それとも2人とも辞めるか?」
私が話をつけてきますので、この中から一つ選んでくださいと伝えます。
「お前がそこまで言うのなら」と社長はパワハラ社員に辞めてもらうことを約束してくれました。
本心を言えばこの後に及んでも「俺はなんてバカの事をしてるんだ」と思ってました。
しかし!そう!本当に私はバカなんです!!(笑)
さあ、パワハラ社員と対決です。もう後には引けません。
私は逃げ出したい気持ちとそれをゆるなさい理想の自分に挟まれながらも覚悟を決めていきます。「刺されるまではオッケー!!死ななきゃ何とかなる!!」
出ました!ここでもやはり根拠のない自信が役に立ちます(笑)
粘り強くパワハラ社員と対峙し10日間の長い交渉の末、やっと自主退職してもらうことができました。
このパワハラ社員に退社してもらったことが引き金になり会社の雰囲気もドンドン良くなりおかげさまでアルバイトも順番待ちにまでに回復できました。
その後もいろいろな問題や嫉妬を乗り越え、何とか会社を立て直すことが出来た私は
理想の自分とのギャップから少し解放され
やっと自分を傷つけることに終止符を打つことが出来ました。
現在は行動する大切さと本気は人に伝わるを意識して活動しています。
このサイトを立ち上げたのもその行動の一つです。
今後も一人でも多くの人に自分を変えるきっかけになるヒントや情報を発信して行きますのでまたのぞきに来て下さい!長いプロフィール読んでいただき有り難うございました。